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余話。その4
− 変遷と未来像(1-9) −
| 話が長くなりました。先を急ぎます。 福羽逸人はフランスのヴェルサイユ陶芸学校で学び明治22年カリフォルニアのブドウ産地を巡回調査した後、帰朝します。その時播州葡萄園はすでにありません。殖産興業の流れが変わり、国はワインを見限ったのです。福羽の留学の成果は、明治29年、『果樹栽培全書』となって世に出ます。この頃、彼は宮内省御料局に技師として勤務するかたわら、農科大学(東大農学部の前身)で園芸学を講じていました。彼の得意とするところは温室栽培で、岡山のマスカット・オブ・アレキサンドリアはその恩恵を受けています。福羽はなぜ温室栽培に眼を向けたのか。それは播州葡萄園の頃、すでに芽生えていたんです。『果樹栽培全書』には、「欧州原産ノ善良ナル醸酒葡萄ノ栽培」に日本の土質は適当であるけれども気候は適していない、と書いています。梅雨と秋雨、そして暴風によって良いブドウがつくれないというのがその理由です。しかし、弘前市の藤田葡萄園では成功していると指摘し、広く各地で試験すれば意外に良い結果が得られるかもしれない、そう言って、この本ではまだ強く否定はしていません。それでも福羽自身は留学前から播州葡萄園に「硝子蓋室」をつくり、「案内栽培」の実験をしているんです。 こういう伏線があって、福羽逸人の次の著作『果樹蔬菜高等栽培論』(明治41年)になると「予ノ信ズル所ヲ以テスレバ本邦ノ風土ハ些少ノ除外ハアルベキモ概シテ葡萄栽培ニ適応セザルガ故ニ良質美味ノ葡萄ヲ修得セント欲セバ勢ヒ高等栽培ニ由ラザルベカラズ」とかなり断定的な言い方をするようになります高等栽培というのは硝子室内で栽培することなんです。 この本が出版された同じ年、川上善兵衛の『葡萄提要』もまた上梓されました。川上の場合は、ここに至る経過を『葡萄種類説明』と『葡萄栽培・提要』という二冊の本ですでに世に示していますから、福羽は川上の仕事の概略は承知しているんですね。それで痛烈に批判します。当時、こういう意見が公にされていたというのは面白いですね。そのくだりを、読んでみます。 「近年越後国ニ於テ盛ニ葡萄栽培ニ従事セル川上善兵衛氏ガ事業ニ熱心ニシテ而モ多少ノ技量アルハ敢服ノ外ナシト雖モ大体ノ目的ニ向テハ首肯スルヲ得ザルモノアリ蓋シ氏ハ生食醸用共ニ不適良ナル米国葡萄ノ劣種ヲ栽培シテ西、仏、伊又ハ米国加州産ノ葡萄酒卜競争シ得ベキモノト認定セルガ如シ果シテ然ラバ是レ真ニ誤見ナリト謂ハザルベカラズ何トナレバ斯ノ如キ劣等ノ葡萄ヲ以テ醇酒ヲ醸造シ得ベキノ理ナケレバナリ」(『果樹蔬菜高等栽培論』107ページ) 福羽の発言は正しいのですが、この声は消え、「マスカット・ベリーA」は残りました。現実の農業は、批判だけでは変えられないのです。 1980年以降、「マスカット・ベリーA」は急速に減少し始めます。ここに立ち至る変遷は、ヨーロッパ系醸造用ブドウの栽培がなぜ立ち遅れたのかを明らかにすることとあわせて、もう少し語っておきたい事柄であります。それは次回に譲るとして、とりあえず、今回は5000tの醸造用ブドウが収穫されるようになるまでの品種別栽培面積推移と1995年の収穫量を農林水産省果樹花き課の調査から抜粋・作表したものを示して終わりとします。 この表からも看て取れるように、日本のワインづくりが高い志をもってノーブル・グレープの栽培から取り組みを始めたのは、1980年以降のことだと言っても、あながち言い過ぎではないのです。(この項続く) ● |