余話。その4

日本のワインづくり

− 変遷と未来像(1-2) −

 ヨーロッパのワイン産地に広がるブドウ畑は、すべてワインの原料とするために栽培しているものです。収穫したブドウの品質が良いか悪いかは、すぐれたワインとなるか凡庸なものにとどまるかを意味します。栽培技術の目標もここになければなりません。

 しかし、実際はブドウ農業の収益性を優先させる経営が行われ、当然のことながら、ブドウの単価と収量の積がより大きくなる方向へ、栽培者は常に気を配ります。この場合、経営面積が十分に大きければ、労働コストの低減を、小さければ労力を注入して高付加価値を、追求することになります。

 日本のブドウ農業が欧米と違って、ワイン醸造用に専業化しなかった大きな理由は、本来、ブドウは日本人にとって食べるものであり、それに加えて醸造用の単価は生食用より安いのが当たり前だったからです。

 そこで日本には「生食兼醸造用品種」なるものが生まれます。その代表ともいうべきブドウが「マスカット・べリーA」でした。

 この品種の誕生物語は、川上善兵衛がワインづくりを志して500種に及ぶ海外の品種を収集し、自宅のあった越後高田近傍高士村で栽培を試み、ことごとく失敗するところから始まります。彼はその失敗を日本の自然環境がブドウにあっていないからだと結論し、以後、品種交配によってこの難関を越えようとしました。当時、欧米ではメンデルの遺伝の法則が果樹の品種改良に応用されていて、それを知った川上善兵衛は一途に突き進んだんですね。それが大正11年、ブドウの花が咲く6月からです。

 以後、20年間に1万株余を育種し、その中から、いわゆる川上品種22種を選抜して公開します。それは昭和15年のことですが、その中に「マスカット・べリーA」の名が入っています。なぜ「A」なのかといいますと、もうひとつ「B」があるからです。

 昭和30年代前半、私が山形県下で甘味ブドウ酒の原料に使う赤ワインを仕込んでいた時には、「マスカット・べリーB」がまだ栽培されていました。

 その頃、山形のブドウ農家は川上品種を命名された名前で呼ばず、交配番号で呼んでいました。例えば「マスカット・べリーA」は3986、「ブラック・クイーン」は4131です。残りの20種は、もう殆ど消滅してしまいました。

その中で、私が仕込んだことのある品種は、山梨県下で「べリー・アリカントA」(55)、「ローズ・シオター」(4192)、長野県下で「レッド・ミルレンニウム」(6421)しかありません。川上善兵衛の生涯をかけた苦闘を思うと、何とも空しい気持ちになります。



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