余話。その4

日本のワインづくり

− 変遷と未来像(2-1)

 「ヨーロッパのすぐれた醸造用ブドウは、日本の自然条件では栽培するのがむずかしい。ヨーロッパ系ブドウは地中海周域のような乾燥した風土を好み、日本の湿潤な気候には適さないからである。これに対し、アメリカ東部を原産地とするアメリカ系ブドウは日本の風土によく適応する。そもそもが湿潤な風土に生育していた品種だからである。そこで、ワイン用ブドウを日本で栽培するには、両者の長所をあわせ持つ交配品種を作出するのが最も良策である」

 日本のワイン醸造家達を金縛こしてきたこの言説は、いったい、いつ頃、どのようにして成立したのでしょうか。私がワインの仕事と最初にかかわりをを持った1953年(昭和28年)には、すでにこの言説は権威をもって語られていました。しかも、その実践の成果として「マスカット・べリーA」があることを教えられたのです。

 しかし、川上善兵衛が1万種を超える交配種の中からこのブドウを選んだとき、酒質は二の次だったことはすでに述べました。また、これより先、川上がアメリカ系ブドウを実用上で評価しているのに対し、ワイン用ブドウはヨーロッパ系でなければならないと官学派の重鎮福羽逸人が強く批判したことも申しました。

 ところが、川上はその批判をものともせず交配育種の道を突き進んでいきます。それはきっと福羽の言葉がこわくなかったからでしよう。なぜなら、「欧州の善良なる醸酒葡萄は日本の雨の多い気候条件のもとでは栽培に適していない」という指摘と、「良いワインは欧州の善良なる葡萄からでなければつくれない」という川上へつきつけた言葉が自家撞着してしまうからです。

 福羽はその解決策として「高等栽培法」すなわち「ガラス室栽培法」、今日でいえばハウス園芸というところでしょうか、それを持ち出すのですが、これは当時の状況からするとあまり説得力がありませんでした。いや今日でも、ワイン用ブドウの栽培に広範囲の雨除け施設を導入するなんて、現実性がないと思います。

 というわけで、福羽逸人の正論は、現場の切実な要求に応えるものでなかったために、大きな声にならなかったんです。それともうひとつ、この頃、つまり明治40年前後、フィロキセラ禍から再興したブドウ農業にとって「良いワインをつくる」という目的は、もうなくなっていたんです。実際、テーブルワインのマーケットなんて、そのころの日本にあるわけないんですね。需要が見込めたのは、甘味ブドウ酒の基酒に使うワインです。これはブドウの品種をうるさく言いません。生食用のブドウでもかまわない。コンコードというアメリカ系のブドウなんかが、むしろ一番適していたんですね。つまり、川上善兵衛の路線の方が現実味があったというわけです。



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