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余話。その3
− テロワールは産地の名声を支えられるか(2-8) −
| ノーブル・グレープの拡散と栽培・醸造技術の革新は、伝統産地の存在感を徐々にではありますが軽いものにしていくでしょう。それを一番敏感に感じているのは、当の産地のつくり手達のはずです。 このような時期に、Gallo社がフランスの伝統産地の「テロワール」を追求して、本気で疑似風土をつくったとは、どうしても思えません。Gallo社の技術をもってすれば、カリフォルニアの自然条件のもとで、フランスの銘醸ワインに匹敵するものを醸造することは確実に可能です。 では何が目的で「テロワール」に「人為」を加えたのでしょうか。さらに一段上のワインを目指す壮大な実験であるかも知れません。もしそうであるなら、それはワインの風土性を自己否定することになりかねません。おそらく、そのような無謀な企てではなく、ヴァラエタル・ワイン市場で出遅れたGallo社がアメリカのわけ知り顔の飲み手達に、本物のハーガンディに限りなく近い高級ワインをつくる姿勢をわかりやすく見せたのでしょう。ジャグ・ワインのGalloからハイクオリティ・ワインのつくり手へ、イメージ・チェンジの思い切った投資であったと思われるのです。 フランスの銘醸畑の「テロワール」に寄せる信仰心は、ワイン文化の後進国の特にスノビッシュな人達の心に探く宿っています。だからこそGallo社のマーケティング戦略は的を射抜くでありましょう。 しかし、本気で考えるなら、ワインづくりが文明化してしまったために、神に祝福された「テロワール」があって銘醸ワインが生まれるのではなく、人間が偉大なワインをつくり、それを「テロワール」の恩寵とする時代になってしまったように感じられます。 (この項終り) ■ |