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余話。その3
− テロワールは産地の名声を支えられるか(2-7) −
| 「人為」が「自然の持ち味」を失わせると確信する人達が具体的に強く意志表示している事柄に有機農法の推進があります。 ブドウ栽培が、病害・虫害駆除、生育促進、収量確保、省力化、といった農業経営上の課題について、個別に合目的に技術の進歩を実現していった結果、除草剤の撒布、防除薬剤の多用、化学肥料依存といった事態となって、ブドウ畑の生態系も土壌の性質も変わってしまいました。 有機農法はその反省の上に立っています。しかし、「だから人間の関与は排除すべきだ」というのは、論理的におかしいですね。有機農法も人間の関与なしには実施できないのですから。 最も、人間のやることにはもっと極端なことがあります。カリフォルニアのGallo社が、ジェネリッタからヴァラエタルへ、商品コンセプトの大転換をはかったとき、ソノマに新しく開設したブドウ畑で、底土からそっくり入れかえ、石灰岩質の理想的な土壌としたことは有名な話です。 ここで注意しなければならないのは、なにをもって理想的というのか、その肝心な点が石灰岩質という言葉ですりかえられてしまっていることです。しかも、「テロワール」の主体であるべき「ソノマ」という固有の所在は消されてしまう。それでもソノマ産のワインであると主張できるのでしょうか。 フランスではこうした「テロワール」の本質にかかわる改修は許されません。しかし、ラフイットやラグランジュなど有名なシャトーの畑に暗渠排水の設備があることは容認されています。 その一方、潅漑をしている畑に「テロワール」の存在は認め難いと主張する人達もいます。これはカリフォルニアを意識しての発言でありましょう。しかし、新世界のつくり手達は、良いワインがつくられているかどうかがすべてであって、そこに「テロワール」が存在するかどうかはどうでもよいことだと反論するんじゃないでしょうか。 同時に思うのは、伝統産地のつくり手達が、なぜこれほどまでに「テロワール」にこだわりだしたか、ということです。シャルドネやカベルネ・ソーヴィニヨンの拡散によって、すっかり文明化してしまった新興産地のワインに対して、伝統産地のワインはなにをもってアイデンティティを主張するのか、その動揺のあらわれとしか見えません。 |