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余話。その3
− テロワールは産地の名声を支えられるか(2-5) −
| 余談をちょっと入れます。 昭和30年代の終り頃、或る有名なホテルのソムリエさんに私達のつくる赤ワインの批評をしてもらいにい行ったことがあります。その人は親切に、わざわざフランスワインを一本、比較のためにあけてくれました。 グラスに注いだ二つのワインを前にして、色のこと、レッグスのこと、香りの立ち具合や口に含んでからの利き方、そして両者の印象の違いなど、実に懇切に語ってくれたのですが、その時、私がびっくりして、いまも鮮明に覚えている言葉があります。 二つのグラスをぐるぐるまわして、交互に香りをかぎながら、その人はこう云ったのです。「ほら、こっちは土の香りがするでしょう」私にはそれがまったく理解できませんでした。しかし、自信にみちて、断乎とした指摘に、私は曖昧にうなずくしかなかったのです。そのせいで、「土の香り」という言葉は忘れられません。 ずっとあとになって、ふと気づいたのですが、あの「土の香り」は、もしかすると、gout de terroirのことだったのかも知れません。昔のことですから、みんなコツコツと独学で知識をつけていった時代です。利酒の修練をしていて、産地の特徴を「この匂い」とつかんだ時、それを「土の香り」とその人は納得したんでしょうね。私も、それがどんな香りだか、わかるような気がしました。 辞書をひくと、その言葉は「地酒の味」と書いてあります。なるほど、terroirの本義はterre、すなわち「大地」あるいは「地面」なんですね。「地場」の酒に、「土の香り」というのは、即物的に解釈されると困りますが、おもむきのある表現だなあと思います。 ところで、日本酒の場合、最近はどこの産地の製品もすっかり洗練されてしまって、地酒とは灘、伏見などの大産地以外の地方でつくられているという以外、どこに地酒の特徴があるのかわからなくなってしまいました。しかし、地酒というのは、本来、ローカルな特色を持った酒のことです。 ローカルな特色というものは、どうして生まれてくるのか。現代では、その地方に特有の信統的な、どちらかと云えば普通ではない独特の製法(技術)に由来するものが多いと思います。それをフランスのワインでいうとヴァン・ド・パイユなんかが該当します。 しかし、根本はあくまでも、その畑の、ブドウの地域性なんです。ただし、ここでは同時にもう一つ指摘しておかなければならないことがあるんです。それは、昔のワインがいまよりももっと地域の個性が強かったという話につながるものです。 ワインづくりというのは原理的にきわめて単純ですから、その単純なことしかやっていない昔の醸造でそんなに違いが出るはずはないと考えるのが常識です。実はこれが産地の個性を生むんです。なぜか。微生物学的に粗放であったからです。 粗放であるというのは、ワインづくりが人間の仕事でありながら自然の側にきわめて近いという意味なんです。醸造が技術的にこういう段階にあるとき、gout de terroirはその意味するところと、そのワインを味わっての実感が一致していたに違いありません。 |