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余話。その3
− テロワールは産地の名声を支えられるか(2-4) −
| 話がくどくなることを怖れずに、具体的な例を挙げて、もう少し説明を続けます。 ボルドーワインの名声を天下に轟かせたのは、ラフィット、ラトゥール、マルゴーなどの銘醸赤ワインとイケムを筆頭とする貴腐ワインの功績でありましょう。 そこで、著名な赤ワインの主産地メドックについて語る人は、水はけの良い砂礫質の土壌と夏乾性の気象、すなわち類い希なる「テロワール」について言及し、聞くものはこの自然条件が不変であるごとく、メドック銘醸シャトーの名声もまた不滅であると錯覚してきたのではないでしょうか。 ジロンド川の干拓工事が行われる以前、メドックがまだ水びたしの沼地であった頃、これが「テロワール」を誇る銘醸地になると、誰が想像したでしょう。干拓は人間の自然に対する大きな働きかけです。そしてメドックという産地が生まれました。この時、水の下に本来存在していた「テロワール」が顕在化したのだという見方に立つと、それは人間がどう振舞おうとも、厳然として変わらずに在るのであって、干拓工事は素晴らしい「テロワール」を沼地の中から拾い上げた、ということになります。 その一方、「テロワール」というものはブドウ畑そのものであり、ブドウ畑が存在しないときは、「テロワール」もまた存在しないのだという考え方があります。 この考え方の根幹をなしている思想を私なりに解釈すると、こんなことではないでしょうか。 まず、「テロワール」というものは、その存在が収穫されたブドウに投影しているけれども、それはブドウ畑の農作業を通して発現するもので、その際、その畑にどんな品種を栽培すればよいのかの判断もまた人間にゆだねられています。要するに、「テロワール」を構成する自然的要因は「人」という要素抜きでは、なんの意味も持ち得ないのです。 次に、もし「テロワール」の優劣が自然的要因によってはじめから明らかに定まっているとしたら、人間は自然的要因の欠点を矯正する努力を必ずします。太古から、人類の暮らしはそのようにして進歩してきたのです。自然的要因を重視する思想は、良い「テロワール」に畑を持ったと自負する人達が有利な現状を維持したい心情の発露かもしれません もともと、ワイン用ブドウの栽培はブドウにとって生育しにくい異風土へ拡散していく歴史を綴ってきたものです。良い「テロワール」を選びながら広がっていったのではありません。営々と努力して、その土地にあった良いブドウ畑をつくり上げていったのです。たまたま、そこがメドックとなり、コート・ドールとなったに過ぎないのです。そして、この二つの産地の「テロワール」は、共通点がどこにもないといってよいほど違います。同じなのは、ブドウ畑で働く人達の熱意と、そこが銘醸地であるという誇りです。 |