余話。その3
                                                  
伝統産地VS新興産地
-テロワールは産地の名声を支えるか(1-6)−
 
 
 ヨーロッパのワインは、これまで二つに大別されていました。商標名で呼ぶワインと、産地名を名乗るワインです。どちらの場合も、飲み手にはそれがどんなワインか、おおよその推察はつきます。商標ワインは、ブレンドによって、いつも同じ味わいとなるよう、規格に従って調整されたワインです。

 産地をうたうワインの場合、それによって飲み手がどんな酒質か、はぼ推察できるというのは仕掛けがあるからです。いや仕掛けではありません。産地はVitis viniferaの拡散によって生まれ、その特徴は品種の収斂によって形成されるという経験則が、どこの産地にもあてはまるからです。

 知識を持った人ならば、例えば、「グラーヴの赤」とか「マコンの白」と聞いただけで、カベルネとメルローに収斂したグラーヴの畑、シャルドネに収斂したマコンの畑が浮かんでくるはずです。産地名がブドウ品種の代名詞になっているから、どんなワインか想像がつくのです。

 ところで、はやばやとミッションに収斂してしまった新大陸の場合、カリフォルニア、チリ、アルゼンチンなどのワインのイメージは決してこの土着化したブドウの上に結ばれるものではありません。

 新大陸の産地では、ブドウ文化の基層を形成したミッション(チリではこれをパイスと呼び、アルゼンチンではクリオーリャまたはクリオージャといいます)の上に、新たな拡散−現地の側からいえば品種の再導入−が行われ、それらが定植された地域において収斂はまだ始まっていないのです。

 このことが、ラベル表示において、伝統産地が産地名を、新興産地が品種名を優先させる理由です。産地と品種がはぼ対応している旧世界と、産地の個性を主張できず、品種の特性を訴求せざるをえない新世界とは、ただ拡散から収斂に至るステージの進み具合が違うのだと考えればよいことです。

 余談になりますが、大西洋側から西進したミッションが太平洋岸に達したあと、迅速に南下したにもかかわらず、北上するのは200年以上もあとになります。サン・ディエゴに伝道所がつくられるのは、1769年、それから点々と伝道の拠点を北へ進め、最後の21か所目がサンフランシスコに建設されるのは1823年ですく

 伝道師達はなぜ赤道をこえて南下しながら北上しようとはしなかったのか。私にはこの謎が解けませんでした。或る時、この疑問を国立民族学博物棺の館長だった梅棹忠夫先生との対談で話題にしました。あっという間の解決でした。

「それは当然やないか。宗教は文明に向かって進む。南には異教徒がいるけど北は未開や」確かに、スペイン人達はアステカ帝国を滅ぼし、インカ帝国を制服しました。

 そして、その時以来、南米のワイン文化の基層であるクリオージャが、むき出しのままつい最近までチリ、アルゼンチン両国のワイン産業を支える主原料であり続けていたのです。アメリカにおけるミッションが19世紀後半、急速に淘汰されていったのと、あまりにも大きな違いです。それはなぜだったのか。南米の国々は市場が閉鎖的で、大多数の飲み手は、好みが洗練される機会などなかったからだと思います。クリオージャのワインは、いつもの飲みなれた「郷土の味覚」であり続けることによって、土着の文化となりおおせたのです。



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