余話。その1
                                                  
ワインづくりが技術を獲得するまで(4)
-パスツ−ル以前−
 
 
 話を「無菌化」「純粋培養」がいかにして醸造へ応用されていったかに戻します。ヨーロッパ大陸のビールづくりは19世紀に入ると劇的な変化を遂げます。15世紀の終わり頃、ミュンヘンで始まった下面発酵方式の醸造法が徐々に広まって、19世紀中頃にピルスナー・ビールが出現します。丁度同じ頃、デンマークの首都コペンハーゲンで、この新しいタイプのビールをつくろうとしていた人物がいました。ヤコブ・ヤコブセンです。彼はミュンヘンへ下面発酵酵母を手に入れるために出かけます。そして当時最新の醸造所を見学し、酵母をもらって帰国すると、早速醸造にとりかかり、その製品が好評だったので、すぐに新工場の建設にとりかかります。こうして、世界にその名を知られる「カールスベルヒ・ビール醸造所」は誕生しました。   
 ここからが本題です。ヤコブ・ヤコブセンの事業は順調に発展し、莫大な利溢を得たのですが、彼は満足しなかったのです。品質が一定ではなく、腐造の危険も残っていたからです。彼はビール醸造のメカニズムを解明して、科学的に工程を管理できれば、良質のビールが安定して生産できると考えました。そして、かの有名な「カールスベルヒ研究所」を創設するのです。1875年のことでした。パスツールの「ビールの研究」が出版されるのはこの翌年です。ついでに申しますと、日本では、明治維新(1868)のもたらした文明開化の風潮の中で、横浜と大阪にビール醸造所が操業を開始し、間もなく設立される北海道開拓使麦酒醸造所に日本人として最初にビール醸造技師として採用される中川清兵衛が、ベルリンのティフォリ醸造所で下面発酵ビールのつくり方を修業している頃と重なり合っています。   

 1879年(明治12年)、カールスペルヒ研究所の植物生理学部長にエミール・クリスチャン・ハンゼン(1842〜1909)が迎えられます。彼は早速ビールの腐造・変味の原因究明に取り組みました。その頃、パスツールはその原因をバクテリアの混入によるためと結論づけていました。それに対して、ハンゼンは酵母そのものに目を向けたのです。   
 ビールづくりは、伝統的に受け継いだ知恵として、それが酵母のかたまりだと知る以前から、発酵を促進させる泥状の滓を使っていました。パンを焼くとき、パン種を加えて小麦粉をねるように、それを澄ませた冷却麦汁へ添加すると、短時間のうちに泡が沸騰する勢いで頂き立ってきます。   
 その泡とともに上面発酵の酵母は浮き上がります。それをスキミングして、次の仕込みの種とするのです。下面発酵の場合は、酵母は滓となって容器の底に沈みます。ハンゼンはこれらの酵母が発酵槽で活動する様子を綿密に調べていきました。   
 その結果、ビール酵母と一緒にたくさんの野生酵母が生きていることや、時としてそれらがビール酵母よりも優勢になってビールにいやな匂いや味をつけたりすることがわかりました。   
 ではその対策はどうするか。実はこれが難問だったのです。というのは、犯人がビール酵母と同類ですから、バクテリアに対するバストリゼーションのような有効な手段が見つかりません。いろいろな酵母がまじっている中から、一番望ましい酵母を選びだし、その一種類だけを純粋培養する方法はないものだろうか。ここでハンゼンが考案したのが「単胞子分離」と呼ばれる操作です。   
 彼はこのテクニックを駆使して、たくさんの菌株を分離し、その性質を明らかにしていきました。そして、ビール醸造に最も適した酵母の純粋培養に成功したのです。この研究を実用化するため考案された装置を「ハンゼン・キューレの酵母純粋培養装置」と呼んでいます。   
       
 


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