余話。その1
                                                  
ワインづくりが技術を獲得するまで(2)
-パスツ−ル以前−
 
 
  変化はなにによって起こるのか。ワインに限らず、すべての酒について、それは原料の性質が変わること、そしてもうひとつ、新しい技術が導入されること、少なくともそのいずれかによっています。   
  原料、つまりブドウについては後にまわして、ここでは技術的に見た変化の節目を、ワインとビールを比較しながら観察してみましよう。   
 人間の生活には、酒に限らず、味噌、醤油、納豆、チーズ、ヨーグルトなど、微生物を利用した飲食物が、昔から数多くつくられています。しかし、それが微生物のいとなみの結果として出来上がるものだとは知らずにいました。そのからくりを明らかにしてくれたのが微生物学です。この微生物学の開祖といわれるのがルイ・パスツール(1822−1895)です。   
  酵母の働きを利用する酒つくりの技術は、当然のことながら、微生物学の基礎の上に成り立っています。経験の蓄積が支えてきた酒つくりは、これ以後、科学となっていきますつまり、酒造技術の進歩を通観したとき、一番大きな節目はパスツールの研究だと言いきってよいだろう。そう考えて、パスツール以前、以後、という見方をしようと思います。   

  微生物学という学問の領域は、パスツールの仕事を端緒に急速に開拓されていきます。しかし、それと酒が旨くなることとは別問題です。むしろ、パスツールの方が酒つくりの現場から学問の糸口を見つけたのでした。   
 余談になりますが、そのことについて触れておきます。   
 パスツールは化学の先生でした。彼の最初の研究業績は酒石酸の光学異性体に関するものでした。その研究は酒と直接の関係はありませんが、酒石酸は果物の酸味成分の中でブドウに固有のもので、後に彼の仕事がワインと深く関わることを思い合わせると、なにか暗示的であります。この研究が評価されて、彼は20代の若さで、新設のリール大学の理学部長のポストを得ます。   
  リールはフランス北一東部の町で、ビートを原料とする砂糖工業が重要な産業となっていました。そして、結晶した砂糖を分離した後の廃糖蜜からはウォッカがつくられていたのです。廃糖蜜を希釈するとアルコール発酵がおこり、これを蒸留すれば粗製アルコールが得られます。あとは白樺の炭で濾し、不純物を吸着、精製すればウォッカとなります。   
  ところが、肝心のアルコール発酵がうまく進んでくれない。当時はまだ自然発酵です。困った人達がパスツールのところへ相談にくる。こうして、彼の「乳酸発酵に関する研究」が生まれました。酵母の活動を乳酸菌が阻害していることをつきとめたのです。   
 この論文を発表した翌年、1858年、彼は生まれ故郷のアルボアで変敗したワインに謎の微生物を発見します。これは後に「腐敗に関する研究」(1883)となって完成しますが、その間、まず「アルコール発酵に関する報告」(1860)を発表し、以後、醸造業と密接に関わる重要な三部作、「酢の研究−醋酸発酵」(1864)、「ワインに関する研究−その病気と保存および熟成の新しい方法」(1866)、「ビールに関する研究−病気と原因ならびに保存法、付発酵に関する新理論」(1876)、いずれも大冊ですが、これらを相次いで出版します。ワインとビールの間には対プロシャ戦争、パリコンミューンの動乱時代があり、エコール・ノルマールの理学科長だった披は避難して、パリを離れる苦労もありました。   
  パスツールが醸造の現場からとり上げた研究テーマは正常な発酵をさまたげる「病気」がどうして起こるのかということでした。その原因がわかれば、その治療も予防も可能になります。その点で、彼の研究はきわめて実用性の高いものでありました。その方法がパストリゼーションと呼ばれるものです。   
  これは病気を起こす微生物を、もとの味を損なわずに殺菌する技術で、低温殺菌法のことです。ワイン、ビールに限らず、牛乳など広範囲に今日でも応用されています。が、しかし、パストリゼーションは酒が微生物によって劣化することに歯止めはかけますが、これだけでは酒つくりに新しい局面を開く力とはなりません。   
 


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