COLUMNIST 堀 賢一
ワイン戦争の匂い
カリフォルニアの著名なワイナリーであるクロ・デュ・ヴァルは、そのブランド名が商標登録されているにも関わらず、現在、イギリス市場への輸出を自粛しています。
背 景
2006年3月、米国政府とEUは1983年以来20年以上にわたって協議を続けてきたワインの「セミ・ジェネリック」に関して合意に達し、協定に調印しています。セミ・ジェネリックとは、米国において伝統的に「総称」として用いられてきた、ヨーロッパにおける地理的名称に起源をもつ用語のことで、「シャンパン」や「ポート」といった、特定のスタイルのワインを指す言葉のことです。こうしたセミ・ジェネリックが用いられた米国産ワインは、EU域内での流通が許されていないのですが、米国市場では広く販売されてきました。この合意の最重要部分を簡単に要約すると、「米国国内市場向けであっても、セミ・ジェネリックを新しいブランドに付加することを禁止する。ただし、すでにラベル上にセミ・ジェネリックが用いられているブランドについては適用除外とする」となります。すなわち、米国のワイン生産者が新しく商品化するブランドには、「シャンパン」や「ポート」「シャブリ」といったセミ・ジェネリックをラベルに表示できなくなった一方、すでに発売されていた「コーベル・カリフォルニア・シャンパン」や「クアディ・ジンファンデル・ポート」などのブランドは、そのまま存続できることになりました。この合意の後でEU側は、「今回適用除外となった、すでに商品化されているブランドのセミ・ジェネリックに関しても、今後の交渉ですべて廃止するよう、米国側に働きかけていく」としていました。
2006年の合意には、17のセミ・ジェネリックが含まれているのですが、それらのうち、現在も米国内で広く販売されているものは、「シャンパン」と「ポート」のふたつ程度です。このうちポートに関してEU側は、「ルビー」や「トゥニー」、「ヴィンテージ」「レイト・ボトルド・ヴィンテージ」「クラステッド」といった用語も「準地理的名称」(のちに「伝統的用語」)として、米国製品への使用を禁止しようとしています。「こうした用語の使用すら制限されたら、我々のポート・スタイルのワインをなんと呼べばよいのか?」というのが米国側の主張で、「実際のところEU側が求めているのは、『ポート』という地理的名称を使うなということではなく、このスタイルのワインをつくるなということなのだろう」と憤慨する生産者も少なくありません。EU側が特に求めている14種類の「準地理的名称には「シャトー」や「シュール・リー」といった単語も含まれており、「シャトー・○○○○」や「甲州シュール・リー」といったワイン名が存在する日本の生産者も無関心ではいられません。
伝統的用語(準地理的名称)
1990年代末以来、EUは域内のワイン生産者を保護する目的で、「伝統的用語」(準地理的名称)の使用に関する規制を推し進めてきており、こうした「(EUワインに特有の)伝統的用語」の登録数はすでに1,000を超えています。これらの多くは、「パッシート」とか「クリアンサ」といったような、特定のスタイルのワインの生産方法や熟成方法を記述したもので、その地域の外では使用されていない文言がほとんどなのですが、なかには「シャトー」や「クロ」、「ヴィンテージ」といったように、すでに世界中で広く用いられている言葉が含まれています。EU側は2009年4月以降、「伝統的用語」がラベルに用いられた米国産ワインのEUへの輸出を認めない、と通告しています。
興味深いことにEUは、「伝統的用語」の使用に関し、世界貿易機関(WTO)の精神に反して、域内にワインを輸出しているすべてのワイン生産国を平等に待遇していません。つまり、南アフリカやチリ、オーストラリアには寛容な姿勢を見せている一方、アメリカ合衆国には「伝統的用語」の使用中止を要請し、「伝統的用語」の用いられた米国産ワインをEU市場から締め出そうとしています。実際、ヨーロッパ市場において、オーストラリアや南アフリカ産の酒精強化ワインはいまだに、「トゥニー」(Tawny)の名前で販売されています。
また、EUは米国に「伝統的用語」の使用中止を要請するに際して、「2006年3月の協定で適用除外となった、協定以前からラベル上に『セミ・ジェネリック』が用いられているブランドの『セミ・ジェネリック』の使用を廃止すれば、「伝統的用語」が用いられた米国産ワインをEU域内で販売禁止の措置にはしない」という交換条件を付けています。「伝統的用語」の使用に関してEUが南アフリカやチリ、オーストラリアに寛容な理由は、これらの国々が「セミ・ジェネリック」の段階的な廃止に例外なく合意しているからです。もちろん、南アフリカやチリ、オーストラリアがみずから進んで廃止に合意したわけではなく、「廃止しなければ、EUへのワイン輸出を禁止する」等の政治的な脅しを受けての、やむを得ない合意でした。これら3つの国々にとって、EUは最大のワイン輸出先であり、EUへのワイン輸出は貿易収支に大きく貢献しています。一方、米国の状況はまったく逆で、EU産ワインの最大の輸出相手国が米国であるだけでなく、最大のワイン貿易黒字相手国でもあります。すなわち、2007年度の米国産ワインのEUへの輸出額が4.7億ドルであった一方、EUから米国への輸入額はその7倍にあたる、33.1億ドルでした。EU側は「セミ・ジェネリックを廃止しなければ、米国産ワインのEUへの輸出を禁止する」と脅せば、「対抗措置として、EU産ワインの米国への輸出を禁止する」とか「EU産ワインに対して、制裁的輸入関税を課す」というカウンターを食らうのが明白なため、なんとも不思議な、「伝統的用語」という搦め手で攻めているというのが真相です。
2006年の合意以降、米国とEUの間には、ワインに関するさまざまな事件が起こっています。記憶に新しいところでは2007年末に、ベルギーのアントワープ港で保税状態にあったナイジェリア行きカリフォルニア産「シャンパン」3,288本が、EU当局の手によって「偽造品」として差し押さえられ、米国に送り返されることなく破壊されています。そしてこれに対抗するように、違法な葡萄品種のブレンドが報告されたブルネッロ・ディ・モンタルチーノに関して、最大の市場である米国は輸入差し止め措置の発動を検討していることを発表し、イタリアの生産者を震え上がらせました。同様にして米国政府は、2006年の格付けが無効とされたサンテミリオンの一部のワインに関しても輸入差し止めの可能性を言及し、EU側に揺さぶりをかけています。これ以降EU側は、保税状態にある第三国向けの米国産ワインを差し押さえ、政治的に利用することをやめているようです。
こうした両国間の応酬は、ひとつひとつの事象だけをとって考えると「どうしてそんなことをするのだろう」と思ってしまいがちなのですが、政治的圧力によりEU側がもっとも懸念しているセミ・ジェネリック、「シャンパン」に起因していると考えれば、すべてが明快につながります。
ふたつのシャンパーニュ
ラテン語の“campania”(カンパーニャ)から派生したフランス語の“champagne”という言葉は、もともと「平原」を意味し、フランス語圏ではこの単語が至る所に地名として用いられています。たとえば、コニャック地方には“Grande Champagne”(グランド・シャンパーニュ)や“Petite Champagne”(プティット・シャンパーニュ)という小地区が存在し、さらに、地名とは直接関係がない“Fine Champagne”(フィーヌ・シャンパーニュ)という原産地呼称が存在します。日本に輸入されているヘネシーVSOPスリムボトルのラベルには“Fine Champagne”と表記されているため、ときどき「これはシャンパンなのですか?」と尋ねる消費者がいます。
ワインに関するもっとも詳細な百科事典である“The Oxford Companion to Wine”には、「フランスでシャンパーニュを生産するための地域が初めて定義されたのは1927年のことで、それ以前はロレーヌやモーゼル等、シャンパーニュ地区以外の葡萄も広く使われていた」と書かれています。同事典によれば、フランスの「シャンパーニュ地方」で生産されたワインが“Champagne”という名称で流通するようになったのは17世紀以降のことで、それ以前は“vins de Reims”(ヴァン・ド・ランス[ランス市のワイン])とか、 “vins de la rivi_re”(ヴァン・ド・ラ・リヴィエール[川のワイン])と呼ばれていました。また、この地方のワインが現在のように発泡性を帯びるようになったのは19世紀以降のことで、産業革命によってガス圧に耐える硬度の高いボトルが生産可能になる以前、「シャンパーニュ地方」のワインはピノ・ノワールからつくられた色の薄いロゼでした。
フランス国境に近い、スイス北西部ヌシャテル湖西岸に、人口600名ほどの“Champagne”という小さな村があります。古代ローマ時代からワインが醸造されてきた「シャンパーニュ村」の記録は公文書で885年まで遡ることができ、そのワインは「シャンパーニュ」と呼ばれてきました。フランスのシャンパーニュ地方の年間生産量は3億本程度ですが、スイスのシャンパーニュ村のワイン生産量は28万本に過ぎず、スイス国外に輸出されたこともなければ、ヌシャテル州外で販売されることもないといいます。このスイスの「シャンパーニュ」は発泡性ではなく、白と赤で、1本の現地価格が邦貨にして500円程度の、日常消費用ワインです。
このスイスの「シャンパーニュ」が現在、存続の危機に瀕しています。理由は、フランスのシャンパーニュ地方の生産者団体がフランス政府とEU政府を通じてスイス政府に政治的な圧力をかけ、スイスのシャンパーニュ村から「シャンパーニュ」という名前を取り上げようとしているからです。EU加盟国ではないスイスが、EUとの二国間協議において、「シャンパーニュ村のワインに『シャンパーニュ』と表示することを止めなければ、EU・スイス間の人の往来や流通、貿易といったすべての協定を破棄する」という、選択の余地のない強力な圧力をかけられた結果、スイス政府はシャンパーニュ村のワインを犠牲にしようとしています。
この政治的圧力の背景には、フランスの生産者グループが「フランスのシャンパーニュ地方がオリジナルなのだから、スイスのワインを『シャンパーニュ』という名前で販売するな」という訴訟を1990年代にスイス側に起こした結果、実際はスイスの方が歴史が古いことが判明し、敗訴した経緯があります。このシャンパーニュの名称を巡る訴訟でフランス側が敗訴したとき、スイス側は「我々の方がオリジナルであることが認められたが、我々はフランス側に『シャンパーニュ』という名称を使うなとはいわない」とコメントしています。
敗訴したにもかかわらず、今度は政治的な圧力を駆使して、フランスのシャンパーニュ地方よりも千年も前から「シャンパーニュ」という名称を用いてきた、スイスの田舎の村から強引にその村名を取り上げる一方、シャンパーニュ地方の生産者団体はいまだに、コニャックの生産者には「シャンパーニュ」の名称をそのまま使わせています。シャンパーニュの巨大ブランド群の親会社と大手コニャック・メーカーの持ち株会社が同一であるということ以外に、そこにはどのような理由があるのでしょうか。
EUが他国の使用禁止を特に主張する伝統的用語(準地理的名称)について、「シャトー」を含める一方で「ドメーヌ」が含まれていないのはなぜなのでしょうか。これは、ドメーヌ・シャンドンやドメーヌ・カーネロスといったように、フランスのシャンパーニュ地方の生産者の子会社が海外で用いているからなのでしょうか? もしEU当局がシャトー・セント・ジーンやクロ・ラシャンスといった、EUで商標登録されている米国産ワインを、WTO等の判断を仰がないまま差し押さえ、破壊することがあれば、米国とEUは戻ることのできないワイン通商戦争に突入してしまうように見えます。