テロワールの死(第5回)
これまで4回にわたり、なぜ、特定の産地や葡萄畑のワインが、その土地独特の味わいをもつようになるのか、「テロワール」の定義から説き起こして、マクロ・テロワールを決定する気候要因やメソ・テロワールを形成する地勢要因、マイクロ・テロワールに影響を及ぼすと考えられる土壌の物理的組成や化学的組成、土壌に含まれる微量元素や畑の生命相について、それぞれ考えてきました。私自身、マクロやメソのレベルでは、なぜ産地ごとに独特の味わいが生まれているのか充分に納得がいくのですが、ミクロのレベルでは現在も確信がもてません。しかしながら、土壌や生命相に明瞭な違いは見られないブルゴーニュの隣り合った畑で、同様の栽培や醸造方法が採られているにもかかわらず、出来上がったワインの味わいの違いに愕然とすることが少なくありませんでした。最終回は、これまでの要因では説明がつかない葡萄畑ごとの個性について、私なりの考えを述べてみたいと思います。
「テロワール」の人為的創出
今日では、フランスでもイタリアでも、南アフリカでもモルダヴィアでも、醸造担当者に「どういうワインを目指しているか」と問えば、みんな判で押したように「テロワールを忠実に表現したワイン」と答えます。それぞれの畑や区画から生まれたワインがその個性を失わないよう、別々に収穫や醸造、瓶詰めを行い、畑名や区画名をラベル上に表示して出荷しているというのですが、ニュー・ワールドの場合は特に、こうしたワインの多くはかつて「リザーヴ」として販売されていたワインでした。こうした小ロット生産のワインには確かに気候や地勢、土壌に由来する個性が見つかることがあるのですが、その香味の微妙な違いは、人為的に操作されているケースも散見されます。
オーストラリアでは、産地によってさまざまなスタイルのドライ・セミヨンがつくられており、同国でテロワールを論ずるときの大きな拠り所となっています。例えば、「ハンター・リースリング」として知られるニュー・サウス・ウェールズ州、ハンター・ヴァレーのセミヨンが、ステンレスタンクでアルコール発酵を行った、オーク樽のニュアンスをもたない、アルコール度数が11%程度と低く、マロラクティック発酵を経ないクリーンなワインである一方、西オーストラリア州のマーガレット・リヴァーでは新樽で発酵を行った、13.5%を超えるような高アルコールで、深い黄色を呈した、シャルドネのようなワインとなっています。たしかに、オーストラリアのセミヨンには産地ごとの明瞭な個性の違いが見つかるのですが、これをテロワールの表現と考えるのは稚拙だと思います。マーガレット・リヴァーでシャルドネ・スタイルのセミヨンが醸造されているのは、セミヨン生産への後発参入組として、マーケティング的に産地としての独自性をもたせようとしているからであり、テロワールの観点から考えれば、本来は冷涼なマーガレット・リヴァーでこそ低アルコールのクリーンなセミヨンをつくり、温暖なハンター・ヴァレーで濃厚なセミヨンがつくられるべきだからです。
こうした人為的な地域性の創出はニュー・ワールドに留まりません。意図的かどうかは別として、何世紀にもわたってワイン生産が行われてきたヨーロッパの伝統的な産地では、数キロ離れただけでワイン醸造の方法や用いられる設備に違いが見られ、特に、閉鎖的な農民たちによって伝統的な技術が伝承されてきた地域では、現在においても顕著な違いがみられます。その一例として、醸造用オーク樽のブローカーであるメル・ノックスは、「ワインに現われる土壌の違いを説明するときに、『ムルソーはオートミールの香りがするのに対し、シャサーニュ・モンラッシェは焼いたパンの匂いがする』とよくいわれているが、この違いは、ムルソーの樽職人が蒸気で樽材を曲げていたのに対し、シャサーニュの職人が直火を使っていたからだ」としています。
また、高額で販売可能な特級畑のワインの発酵や熟成には新樽を用いる一方、格下のワインには微生物汚染のリスクのある旧樽を用いる等、生産者による扱いの差異がワインの個性の違いを形成したり、増幅しているケースは世界中にみられます。こうした意味で、コート・ド・ニュイ・ヴィラージュにも新樽のみを用いるドメーヌ・ジャイエ=ジルのワインには、他の生産者にみられるほど、特級畑のワインとジェネリックのワインとの間に大きな違いはみられません。ドメーヌ・アラン・グライヨのクローズ・エルミタージュとサン・ジョゼフの間には明瞭な個性の違いがみられますが、サン・ジョゼフの醸造に際しては100%の除梗を行っているのに対し、クローズ・エルミタージュには全く除梗を行っていません。我々が「テロワール」と思い込んできた個性の多くは、ひょっとしたら人為的な操作によるものだったのかもしれません。
マス・セレクション
ブルゴーニュの葡萄栽培農家は、1870年代にこの地を襲ったフィロキセラにより、それまで一般的だったプロヴィナージュと呼ばれる古典的な取り木法を見直さざるを得なくなり、赤ワインに関してはピノ・ノワールの挿し穂をアメリカ系葡萄品種の台木に接木する方法に転換しました。この挿し穂の入手方法は大別して二種類あり、ピノ・ノワールのクローン番号と台木の種類を指定して苗木供給業者に準備させる「クローン・セレクション」と、準備した台木を畑に植え、これに自分の畑で選抜したピノ・ノワール群を接ぐ「マス・セレクション」(セレクシオン・マサル)という方法です。マス・セレクションは葡萄の成長期の観察により、望ましいと考えられる複数の葡萄樹の個体にテープ等で印をつけ、冬の休眠期にその枝を切り取って挿し穂とする方法です。「収量の多さ」とか「ワインの色調の濃さ」、「果実の成熟のスピード」とか「病害に対する抵抗力」といった点に注目して選抜を行ったのですが、栽培農家によってその基準が異なったため、シャンベルタンやエシェゾーといった単一畑であっても、区画の所有者が異なるごとにピノ・ノワールの個体群は異なった特徴を帯び、結果としてそれぞれの区画から生まれるワインも、同じ名前で販売するにはふさわしくないほど品質にばらつきがみられるようになりました。遺伝子的に不安定で、突然変異を起こしやすいピノ・ノワールでは特に、このマス・セレクションによる味わいの違いが感じられやすいといわれています。また、クロ・ド・ラ・クレ・ド・セランのニコラ・ジョリーはクローン・セレクションを痛烈に批判する論客のひとりで、「シュナン・ブランのひとつのクローンがロワール全域に広がってしまった結果、ワインからは畑ごとの個性が失われてしまった」としています。実際、ブルゴーニュにおいても、収量の多さから選抜されたピノ・ドロワと呼ばれるクローンが、1970年代から80年代にかけて大量に植えられた結果、色調や味の薄い単調な赤ワインが大量に出回り、こうしたワインからは産地や畑の個性を感じることができませんでした。話がクローン・セレクションに及ぶと、ニコラ・ジョリーは嬉々としてクロ・ド・ラ・クレ・ド・セランに植えられているシュナン・ブランの葉と、クローンとして出回っている葉の両方を見せてくれるのですが、同じ品種であるとは信じられないほど、葉のサイズや形が異なっています。
こうした葡萄樹の個体差やクローンによる味わいの違いがメソのレベルで現れている例としては、トスカーナのサンジョヴェーゼが挙げられます。優秀な生産者によるキアンティ・クラシコやブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、ヴィノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノはそれぞれに個性豊かなワインで、有意差をもってブラインド・テイスティングでワイン名を当てられるほど、それぞれの原産地に固有の香味が感じられます。これらはすべて、サンジョヴェーゼが主体となって生産されているワインですが、それぞれの産地によってプルニョーロ・ジェンティーレとかブルネッロ、サンジョヴェートやモレッリーノといった別名で呼ばれていることからも、これらの葡萄樹をすべて同一の個体と考えることはできません。サンジョヴェーゼはピノ・ノワールと同様に、遺伝子的に不安定で突然変異の起こりやすい品種であり、「テロワールを反映しやすい」といわれています。ピノ・ノワールともうひとつ共通しているのは、これらふたつの葡萄品種が古代から人間によって栽培されてきたと考えられている点で、そのため栽培される地域により、その個体(群)は微妙にその性質が異なっています。
カリフォルニアのナパ・ヴァレーの古典的なカベルネ・ソーヴィニョンのひとつに、ハイツ・ワイン・セラーズのマーサズ・ヴィンヤードがありますが、同ワインが単独で瓶詰めされるようになった1960年代後半から、「マーサズ・ヴィンヤードのカベルネからは常に、ユーカリの香りがみつかる」といわれてきました。このユーカリの香りは長い間、マーサズ・ヴィンヤードに沿って植えられているユーカリの樹に由来するとされてきたのですが、さまざまな研究により、このニュアンスはマーサズ・ヴィンヤードを取り巻く自然環境要因(特にユーカリ)に由来するのではなく、マーサズ・ヴィンヤードに植えられている、ひと房の中で果粒が不均質に熟してしまうカベルネ・ソーヴィニョンのクローンの、未成熟な果粒に由来していることが分かっています。
我々が「テロワール」と考えていた、地域や畑ごとのワインの味わいの違いには、明らかにこうした葡萄樹の個体ごとの個性の違いが含まれていたはずで、クローン・セレクションの一般化と畑ごとのワインの個性の減衰が同時進行したことからも、個人的には、ワインに現われた畑や地域ごとの個性の多くは、この葡萄品種の個体(群)の個性の違いに起因したのだろうと思い至っています。こう考えることは、「葡萄畑を取り巻く気候や地勢、土壌といった自然環境が、ワインの風味に与える影響」と定義した、テロワールの根幹部分を否定してしまうことに繋がるのですが、少なくともマイクロ・テロワールに関しては、土壌の物理的組成要因を除き、瀕死の床にあるように思われてなりません。