アンティノリ・イノヴェーション
新世紀のティニャネッロ
ティニャネッロ、ソライアなどのスーパー・タスカンを生み出し、トスカーナワイン・ルネッサンスの先駆けとなったアンティノリ。その後もサンタ・クリスティーナ・エステートを基点にペポリ、バディア・ア・パッシニャーノなどを次々と取得し、キアンティ・クラッシコの生産ラインを充実させた。
一方、モンテプルチャーノにはラ・ブラチェスカを購入し畑の拡大とあわせて醸造設備と地下セラーを新装した。また、自社畑の拡大に伴いヴィラ・アンティノリを2001年ヴィンテージからトスカーナIGTに切り替えるという英断もあった。
そしていまアンティノリは、カステッロ・デッラ・サラ(ウンブリア)とティニャネッロ畑の植替えに着手している。そこには14世紀から連綿と続く伝統と、スーパー・タスカンを世界に提案した進取の気象にもとづく、アンティノリならではの新機軸が織り込まれている。ティニャネッロとチェルバロの畑から、アンティノリの新しい世紀に向けたワイン造りの提案をレポートする。
アンティノリがトスカーナに所有しているワイナリーを全部まわってみないか、という誘いに乗って、MiWine・エノツアーのプーリア訪問を断った。ボルゲリのグアド・アル・タッソを訪ねる絶好のチャンスだと思ったからだ。それに、ボルゲリで時間がとれれば、ピエロとロドヴィコのアンティノリ兄弟が始めた新プロジェクト、カンポ・ディ・サッソも見ることができるかもしれない。あれこれ思いを巡らせて、アンティノリの本拠地フィレンツェに向かった。
フィレンツェ駅とアルノ川のほぼ中間にあるトルナブオニ通り。その突き当たりがアンティノリ広場と名付けられ、その広場に面した建物がアンティノリ家の住まい兼オフィス、パラッツォ・アンティノリである。1506年から続く由緒あるものだ。この建物の入口にワインバー、カンティネッタ・アンティノリがあり、そこから10数m離れたところにアンティノリが経営する食品専門店プロカッチがある。フィレンツェを訪ねた観光客が気軽にアンティノリを味わうことが出来るようにという配慮なのだろうか。
そのプロカッチで、アンティノリ三姉妹の末子、アレッシアと待ち合わせた。ミラノ大学でシエンツァ教授に師事し栽培学と醸造学を学んだアレッシアは、現在、アンティノリの栽培・醸造を担当している。因みに長女のアルビエラは広報担当、二女のアッレグラはアンティノリ家所有のレストランやワインバーなどの管理をしている。アンティノリの看板は徐々にこの三姉妹が担うようになっているようで、その後のワイナリー訪問ではジャコモ・タキス、レンツォ・コラレッタの名はもとより、当主ピエロ・アンティノリの名前さえもあまり聞くことはなかった。
さて、アレッシアの説明によると、当初予定していたボルゲリなど海沿いトスカーナの訪問は、今回のツアーから外したという。その理由は、プリムム・ファミリエ・ヴィーニ(=PFV)と大いに関っていた。アレッシアは2003/2004年のPFV代表幹事を務めており、PFVのMiWine招致という大役を任されていた。そして、PFVメンバーはMiWineがはねてから、年次総会とアンティノリ訪問のためにフィレンツェに入っていたのだった。しかもその翌日はボルゲリで、インチザ・デッラ・ロケッタ家(サッシカイア)のPFV入会を祝う内輪のパーティを開くのだという。そういうわけで、今回の訪問先は、モンテプルチャーノ、オルヴィエート、キアンティ・クラッシコの3地域になったようだ。
モンテプルチャーノとオルヴィエート
長姉アルビエラの運転でモンテプルチャーノに向かう。コルトーナとモンテプルチャーノの中間にあるワイナリー、ラ・ブラッチェスカは、アンティノリが1990年に購入した比較的新しいものだ。この辺りは、標高280〜300m、ウンブリアのトラジメーノ湖に近いので、湖を渡ってくる風が心地よい。ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナに使われるキアナ牛の産地でもあり、のんびりした風景だ。
ラ・ブラッチェスカはモンテプルチャーノとコルトーナをまたぐようにして342haの畑を持ち、プルニョーロ・ジェンティーレ、メルロ、シラーを植えている。ワイナリーの前に広がる畑は1995年に植えたもの。2000年に植えた若い区画も一部にある。生産量は35万本。ブドウの一部はヴィラ・アンティノリにも使っているという。
今年、地下の樽熟成セラーが完成した。オーク樽はアメリカンオーク、フレンチオークに加えてハンガリアンオークも使っている。ハンガリーでの製樽はヨーロピアン・クーパーズというアンティノリが自ら出資している会社が行う。「ハンガリー樽は使いはじめの頃、少しグリーンな感じがワインに残ったので、それを改善するために現地資本に自ら出資して合弁会社を作った」という。
厳しい年だった2002年はヴィノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノを造らず、すべて“サバツィオ”という名のロッソ・ディ・モンテプルチャーノにデクラスした。そのため、この年のサバツィオは、フレッシュだが良く凝縮したワインに仕上がっている。ヴィノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノ2001 ラ・ブラチェスカは、豊かな果実の香りにモカのヒント、ほのかに湿った土のような香りも見出せる。滑らかなタンニンで、複雑な味わいが長く口の中に残る。単一畑サンタ・ピアで造るヴィノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノ2001 ヴィニェート・サンタ・ピアは、まだ若くて香りが閉じている。激しくスワリングさせて起こしてやると、熟したフルーツの甘い香りが立ち上ってくる。絹のように滑らかなタンニンときれいな酸味、比較的早く飲み頃を迎えそうなヴィノ・ノビレである。
流行りのシラーは、DOCコルトーナのブラマソーレ2001に使われる。濃縮したワインで、まだオークとフルーツがよく溶け合っていない。コルトーナ・ブラマソーレの畑は砂状土が支配的。湖に近く涼しいので、主にシラーやメルロを栽培している。他にサンジョヴェーゼ、カベルネ・ソーヴィニヨン、プティ・ヴェルドも植えている。
ラ・ブラッチェスカを離れて南に向かい、トスカーナとウンブリアの州境を越えて高速道路をファブロでおり、つづら折の坂を上ると、眼下に14世紀に建てられた塔のあるカステッロ・デッラ・サラとパーリャ川にいたる南斜面の畑が現れる。イタリアを代表する白ワイン、チェルヴァロを産み出すエステートだ。これは現当主ピエロの父、ニコロが1940年に購入したもので、その後ピエロが畑を買い増した。敷地は483haあるが、ブドウが植わっているのは160ha。標高200m〜400mに至る斜面に畑が拓かれており、急傾斜の区画はテラス式になっている。
もとはプロカニコやグレケットで造るオルヴィエート・クラッシコの産地だが、アンティノリは冷涼な気候を活用して、ここにシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ネーロなどを植えた。そしてシャルドネとグレケットで造った1985年産チェルヴァロ・デラ・サラが注目を浴びることになる。
チェルヴァロ2002は、シャルドネ80%、グレケット20%のブレンド。フレンチオークの樽で発酵させ、乳酸発酵も行っている。初めにトーストの香りが現れ、追いかけてレモンや蜂蜜、花の香りが交じり合う。口の中ではキリッとしたグレケットの酸味が活きていて厚みのあるワインだ。シャルドネだけではこうはいかない。グレケットがうまい具合に効いている。
畑の土は主に粘土質で一部には火山性のものもある。また、川に近い区画は泥灰土で、その中に化石になった貝殻などがたくさん混じっている。触ると貝殻がボロボロと崩れ、雨水で簡単に浸食されてしまう土壌である。この土壌に1980年代にシャルドネなどを植えたのだが、当時の流行りは粗植で背丈を高くしたコルドンだった。しかしこれでは品質に不満が残るというわけで、最近になって植え替え作業を開始した。植樹密度は、2000本/haだったものを3800本から4000本、ほぼ2倍にしている。一部には6000本/haと植密度の濃い区画もある。もちろん樹高も低くしている。苗木は、ソーヴィニヨン・ブランとシャルドネはフランスから輸入し、この土地の品種は畑でマス・セレクションしている。訪ねた時にはちょうど、フランスから輸入したピノ・ブランを機械で植える作業の最中だった。
ティニャネッロ・エステート
アンティノリのキアンティ・クラッシコは、グレーヴェとヴァル・ディ・ペサの間、サンカッシャーノから南へ12kmほどのところにあるサンタ・クリスティーナ・エステートで造られる。ここは、もとはメディチ家の農園だったが、19世紀にアンティノリが購入したものだ。最近、サンタ・クリスティーナという呼称は使わなくなって、代わりにティニャネッロ・エステートと呼んでいる。
もともとティニャネッロと呼ばれる区画は、サンタ・クリスティーナ農園のなかでも最良のブドウを産み出すところだった。キアンティ・クラッシコのリーダー、アンティノリは1960年代から70年代にかけてワインの品質改善に取り組んだ。その結果、白品種のブレンドを止めること、オークの小樽で熟成することなどの改善策を見出した。しかし、それらをキアンティに適用するとDOCの枠から逸脱してしまう。それでも品質を優先しようと判断し、仕方なくヴィーノ・ダ・ターヴォラ、ティニャネッロとして市場に問うた。これがサッシカイアと並んでスーパー・タスカンの先駆けとなったわけだ。また、1920年代からこのエステートにはカベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フランが栽培されていた。これらを独自に発酵、熟成させたのがもう一つの有名なキュヴェ、ソライアである。
いまこのティニャネッロ・エステートでは、ティニャネッロ、ソライアの他にサンタ・クリスティーナ、バディア・ア・パッシニャーノ、ペポリ、テヌータ・マルケーゼ・アンティノリ(以上キアンティ・クラッシコ)と、このほどトスカーナ全土にある自社畑のサンジョヴェーゼとカベルネをブレンドして、IGTトスカーナに生まれ変わったヴィラ・アンティノリを生産している。ペポリはティニャネッロ・エステートの北5kmほどのところにあるエステートで1985年に購入したもの。バディア・ア・パッシニャーノは、同じく1987年に購入したもので、このバディア(僧院)にはベネディクト会の修道士がいまも居住しており、地下のワインセラーもきちんと機能している。アンティノリはこのバディアのそばの穀物倉をオステリアに改造し、ワインとオリーヴオイルなどのセラー・ドアもつけて、オステリア・ディ・パッシニャーノをオープンした。
ティニャネッロ・エステートの発酵作業で近年変わったことは、7年前から発酵用にスラボニアンオークの開放槽を使い始めたことだ。また、地下セラーは大きく改造されて、2004年から新しくソライア・セラーとティニャネッロ・セラーに区分けされた。ティニャネッロ・エステートで造るワインは、熟成がおわるとすべてサンカッシャーノにある貯蔵・瓶詰設備に送られて瓶詰される。また、ヴィラ・アンティノリの生産拡大に合わせて、サンカッシャーノの近く、バルジーノに新しいブレンドとストック、ボトリングのためのスペースを確保し、現在急ピッチで建設が進められている。
一方、畑に目を転じると、クリュ・ティニャネッロはいまブドウ樹の植替えの真っ最中である。遠くから眺めると、斜面に何本もの白線を引いたように見える。これは、晩熟のサンジョヴェーゼが2002年のような日照量の少ない年でも良く熟すよう、畝毎に50cmの深さまで石灰岩を砕いて入れ、これで得られる輻射熱をブドウの成熟に利用しようというものだ。敷き詰めた石灰岩は、光の反射だけでなく、土中の水分を保つ働きもするという。さらに雨量の多いときは排水の役割も果たすようになっている。植え替え用の台木は通常より50cm分だけ長いものを使っている。また、潅水用のパイプは地中50cmところに張り巡らしてある。潅水は樹が根づいて収穫に至るまでの3〜4年間は行って良いことになっている。
土壌改造にあたるような気もするが、50cmほどの表土を鋤き返し、石灰岩をあつめて砕き一列に敷き詰め直しただけなので何も問題ないとの回答だった。このプロジェクトは1995年に開始し、以来、さまざまな試験を重ねた結果、現在の方法がベストと判断し、2000年に実際の植付けを開始した。この作業のコストは非常に高くつくので、ティニャネッロ畑だけに適用している。ソライアの畑はカベルネ・ソーヴィニヨンなどボルドー品種なので、従来の植え方を踏襲している。
ちなみにティニャネッロ畑の土壌は、粘土石灰質(アルベレーゼ)と泥灰土(ガレストロ)である。ガレストロはキアンティの優良な畑に良く見られる土壌だが、トスカーナ産の白ワイン名として一時期、市場を賑わした。トレビアーノやマルヴァジアなどの白品種をキアンティのブレンドから外した時の窮余の策が、これらを集めて白ワインに仕立て、ラベルにキアンティ特有の土の名前“ガレストロ”を冠して売り出すというものだったからである。
ティニャネッロ2000は、蒸れた土の香り、タバコ、コーヒーなどの香りがほんの少し掴まえられる。しかし全体に香りのヴォリュームはまだ少なく、閉じている。口あたりは滑らかでクリーミー。きっちりした構成で、酸味とのバランスがとれている。エレガントなまとまりが後口まで続き、最後はきれいな酸味が効いていて余韻がとても長い。素晴らしいワインである。
新しく植え替えたティニャネッロの区画が実をつけるのはまだ3〜4年先になる。多分、2010年ごろに試飲できるであろう“新世紀のティニャネッロ”は、いったいどんな変貌を遂げているのだろうか。