コラムUNCORK
堀 賢一
テロワールの死(第4回)

微量元素
  現在までの科学的な研究では、土壌の化学的組成とワインの味わいに明確な相関関係はみつかっていないのですが、葡萄樹の健康な生育にはいくつかの微量元素が欠かせないことはわかっています。
  アルカリ金属のカリウムはワインの質にもっとも影響を及ぼす元素と考えられており、土壌から吸い上げられたカリウムは、葡萄の果皮や果汁に蓄積されます。カリウムが欠乏した葡萄樹には黄色化した葉がみられるようになり、葡萄樹の生長が止まり、果粒に糖分が蓄積されなくなる一方、カリウムが過剰に供給された葡萄樹は収量が増大し、果汁の酸性度が下がり(pHが上がり)、ワインは化学的な不安定を招くことになります。1960年代から70年代にかけて、化学肥料メーカーからの誘惑に負けたブルゴーニュの葡萄栽培農家は、畑に大量のカリウムを撒きましたが、その結果、ワインの酸は絶望的なレベルまで下がってしまい、醸造段階での補酸が必要になってしまいました。畑に撒かれたカリウムは自然には減成しないため、この問題は現在でも続いています。
  無色、無味無臭の不活性ガスである窒素は、アミノ酸や蛋白質、葉緑素を構成する主要元素であり、硝酸塩やアンモニウム塩といった窒素化合物として土壌に存在し、また、化学肥料の主成分でもあります。窒素が欠乏した葡萄畑では樹勢が弱まり、葉の緑色が薄くなったり、黄色化したりする一方、過度の窒素供給は樹勢を過剰にして枝葉の茂りすぎを招き、結果として果実に太陽光線が届きにくくなって病害虫が発生しやすくなったり、果粒への糖分や色素等のフェノールの蓄積が遅れたりします。ヨーロッパ、特にドイツの葡萄畑では第二次世界大戦以降、化学肥料としての窒素化合物が過剰に使用され、流出した硝酸塩が地下水や河川を汚染して社会問題となりました。高品質のワイン用葡萄を生み出すためには、葡萄畑の窒素の量は過剰であってはならないと考えられており、窒素化合物の豊富な畑では、葡萄樹の畝間に窒素を消費するライグラスなどの植物を植え、葡萄樹への供給量を制限しています。歴史的に、「素晴らしいワインは(窒素化合物の少ない)やせた土地から生まれる」とされてきたのは、窒素の供給量が制限されることによって樹勢が自然にコントロールされ、枝葉の茂り過ぎを防ぎ、果房が適量の太陽光線にさらされたり、葡萄樹内部の風通しが良くなって、果実が健康に完熟できたからだと考えられていますし、養分を求めて根が地中深くまで伸びるため、干ばつの年でも地中の水を吸い上げて葡萄樹が枯れることがなかったから、と理由付けされています。一方、「やせた土地からのみ、素晴らしいワインが生まれる」というメドック的な概念は、キャノピー・マネージメントに代表される葡萄栽培学が発展した今日では、完全に否定されています。実際、コート・ドールの畑の多くは肥沃な土地で、1940年代まで、現在のピュリニー・モンラッシェの畑ではカシスが栽培されていました。
  リンは葡萄樹の生長に不可欠なミネラルで、光合成やでんぷんの糖化に関与します。葡萄樹が必要とするリン量はごく微量であるため、酸性土壌でない限り欠乏することはありませんが、土壌中のリンが欠乏すると、樹勢が弱まったり、葉に赤い斑点が現れたりします。
  葡萄樹が生長のために必要とする微量元素には他に、亜鉛やホウ素、鉄やマンガン、マグネシウムといったミネラルが含まれるのですが、フランスやドイツ等の歴史ある葡萄畑では、長く続いたモノカルチャーのためにこうした微量元素が欠乏し、主に化学肥料として定期的に葡萄畑に供給されています。また、まだ化学肥料が開発されていなかった時代には、新鮮な土壌を運び込む客土が定期的に行われており、シャトー・ラトゥールでは19世紀初頭、長年のモノカルチャーによって土壌が疲弊していたため、荷馬車1,000台分以上の客土が行われた記録が残っていますし、ロマネ・コンティには1786年から87年にかけて、800台分の新しい土が投入されました。
  2004年6月、スペインのセビリア大学のアンナ=マリア・ケメアン博士は、「ワイン中に含まれる、土壌に由来する16種類の微量金属の濃度を、原子スペクトルを用いて測定することにより、ワインが本当にラベル上の特定の地域や畑から生まれたものであるかどうかを検証でき、ワインの真贋を見極めることが可能である」とし、「例えば、シャンパーニュには1・あたり平均0.6mgの亜鉛が含まれており、この量はカバの平均亜鉛含有量の二倍にあたる」「カバには1リットルあたり平均0.7mgのストロンチウムが含まれており、シャンパーニュの平均含有量の2倍以上にあたる」と英・New Scientist 誌に発表しています。この研究はまだ、第三者による検証が必要な段階ですが、土壌の化学的組成とワインの味わいの相関関係を示唆しているため、非常に興味深いものです。しかしながら、ケメアン博士のグループが測定した微量金属の濃度には、農薬として畑に散布されたものが含まれているとみられ、また、実際の測定結果として、試料として用いられた17種類のシャンパーニュのうち6本から、カバの平均含有量を超えるストロンチウムが検出されていることから、この研究発表を鵜呑みにすることは到底できません。ケメアン博士は「ワインが本当にラベル上の特定の地域や畑から生まれたものであるかどうかを検証できる」としていますが、測定した試料の微量金属のデータを、出荷元のワインが本来備えている固有のデータと比較しているだけなので、実際の畑の微量金属濃度とは直接には関係がありません。ケメアン博士自身、微量元素がマイクロ・テロワールを形成する直接的な要素だとは考えていないようです。

生命相
  1980年代以降活発になってきている有機栽培の実践者たち、特にバイオダイナミクスと呼ばれる特殊な自然農法の信奉者たちは、「ワインに現れる葡萄畑の個性の多くは、葡萄畑固有の生命相に由来している」といって憚りません。こうした生命相には、表土の通気や水捌けを良くし、土を柔らかくするミミズ等の地中生物や、てんとう虫などの益虫、土中に無数に生息するバクテリアなどの微生物が含まれます。土壌微生物学者のクロード・ブルギニヨンは、1950年代以降大量の防カビ剤や除草剤、殺虫剤などが投下されてきたブルゴーニュの葡萄畑では、微生物相が破壊されて「土は死んでしまった」といい、「世界中の葡萄樹が、同一の化学肥料の養分だけで生長した結果、ワインからは畑ごとの個性が失われてしまった」としています。ブルゴーニュの白ワインの頂点に立つアンヌ=クロード・ルフレーヴは、「有機栽培やバイオダイナミクスの最大の目的は、化学農薬によって破壊された土壌の微生物相を復元し、失われた葡萄畑の個性を再発見することにある」といいますし、私自身は到底信じることができないものの、ドメーヌ・ルロワのラルー・ビーズ=ルロワは、「(バイオダイナミクスで栽培された彼女の畑の葡萄は)果粒を食べるだけで、どの畑のものか分かる」といっています。こうした、「葡萄畑の生命相がワインの個性に影響を及ぼす」という意見を考察する上で、もっとも頻繁に俎上に上るのが、自然酵母や乳酸菌、ボトリティス・シネレア(貴腐菌)の存在です。
  アルコール発酵の中核を成す酵母は、果汁の糖分をエチルアルコールと炭酸ガスに転換するだけでなく、ワインの香味に影響を及ぼすエステル等の物質も生成します。酵母には無数の種類が存在しますが、一般にワイン酵母と呼ばれるのはサッカロミセス・セレヴィシェで、さらにこのなかにも、数百種の菌株が存在し、菌種によってワインは異なる個性をもつようになることが知られています。長くワイン生産が続けられてきた産地の畑では、醸造後の葡萄果皮や澱を堆肥として畑に還元してきた結果、たくさんの種類の酵母が高い密度で存在していることが知られています。ワインは歴史的に、こうした葡萄畑やワイナリーに自然に存在する酵母によってアルコール発酵が行われてきたのですが、過剰な農薬の散布はこうした自然酵母をも殺してしまい、現在では人工的に培養した酵母を添加することが普通になりました。こうした培養酵母は世界中で同一のものが入手可能なため、ワインの味わいの画一化を更に加速させた一因だと考えられています。一般に、自然酵母による発酵では、発酵初期に100種類以上の酵母が複雑に関与するのに対して、培養酵母は基本的に1種類の酵母がアルコール発酵のすべてを取り仕切ります。また、充分な量の酵母が添加される培養酵母では、添加後2〜3時間で発酵が始まるのに対し、自然酵母は個体数が少ないために発酵開始まで時間がかかり、時には1週間も要することがあります。一般に、培養酵母がクリーンで好ましい香味をもったワインをもたらすのに対し、自然酵母のワインは厚みのある、複雑なワインとなる傾向があります。
  ボトリティス・シネレアは貴腐ワインの生産に欠くことのできないカビで、ソーテルヌやトカイといった貴腐ワインの産地では重宝されるものの、辛口白ワインの産地では一般に病害として受け止められています。しかしながら、ブルゴーニュの秀逸な白ワインの多くには、このカビに由来する微妙なニュアンスが見つかることが多く、「畑の個性」として受け止められています。実際、ドメーヌ・デ・コント・ラフォンやルロワに運び込まれるシャルドネを観察していると、ボトリティスによって変色した果粒が散見され、選果台で腐敗果を取り除くに際しても、意図的にこうした果実を取り除きません。カリフォルニアのロバート・モンダヴィではブルゴーニュのこうした伝統を継承し、最上級のリザーヴ・シャルドネの醸造に際しては、意図的に貴腐化した果実を3%ほど加え、ワインに複雑味を与えています。
  それでは、葡萄畑の微生物に代表される生命相は、いったいどれだけテロワールの絶対的な個性を生み出せるのでしょうか。1990年代まで、フランスにおけるバイオダイナミクスによるワイン生産のリーダー的な役割を果たしたニコラ・ジョリーは、「畑に存在する固有の生命相が、ワインに絶対的な個性を与える」と力説し、「バイオダイナミクスこそがテロワールをワインに反映させる唯一の方法である」と説いています。実際、彼の手によるクロ・ド・ラ・クレ・ド・セランには「オリジナリティ」が感じられます。しかしながら、彼の考えを受け入れ、彼と同様の方法によりロワールでシュナン・ブランからワインを醸造している若い世代のワインが、「畑のテロワールを反映した」とか「オリジナリティのある」というよりは、「ニコラ・ジョリーのワインに似た味」になってしまっているのはなぜなのでしょうか。私のテイスティング能力が劣っているからかもしれませんが、私には残念ながら、彼らのワインに「絶対的な個性」を感じることができません。むしろ私が感じるのは、自然酵母での発酵に拘泥し、搾汁から発酵開始までに時間がかかったために、フレッシュな果実香が失われ、やや酸化したニュアンスを湛える「醸造方法に由来する個性」なのです。もちろん、過剰な果実香が失われているために、複雑なニュアンスの感じられる、個人的には好ましい香味であることが多いのですが、これを「葡萄畑に由来する絶対的な個性」と考えることは到底できません。