| 話しを本題へ戻します。 今日、新興産地といわれる地域でVitis viniferaの栽培が定着するまでには、伝統産地が形成された経過と同じく、幾度もdiffusionが繰り返されます。ただし、それは文明の力をバックに、かなり組織的であったところが旧世界の場合と違っていました。 大航海時代の航路開拓は西へ向かうものと、アフリカ大陸を南下して東へ進んだものがありましたが、ブドウ品種のdiffusionもまたこの二つの経路に乗って、南北アメリカに展開したものと、南アフリカからオーストラリアへ向かったものとがありました。 コロンブスがサン・サルバドル島に到達したのは1492年、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回ってインドのカリカットへ到達したのは1498年、ほぼ同じ頃ですが、インド航路を開拓してアラブ人、インド人の独占していた香辛料貿易に参入したポルトガルに村して、アメリカ大陸に進出したスペインは、原住民の制服とカトリックの布教が一体となって、たちまち領土を広げていきました。ブドウの移植は伝道活動に随伴するものでした。 15世紀の終わりから始まったスペイン人のアメリカ大陸進出は1513年、パナマ地峡を横断して、たちまち太平洋岸に達しました。このあたりはマヤ文明の栄えたところです。当時はアステカ帝国がありました。エルナンド・コルテスに率いられたコンキスタドーレスがこれを制圧して、現在のメキシコから中米一体をスペインの支配下におさめたのは1521年だそうですが、実はこれから後、南下していく勢力のスピードが驚く程速いのです。 これは軍隊だけではありません。コロニストもミッションも一団となって動きました。それがそのままVitis viniferaのdiffusionだったのです。1530年代にはペルーに達し、さらにチリからアンデスを越えて、その東麓にブドウが植えられたのは1556年といわれています。新大陸発見から、現在世界屈指の大産地メンドーサが誕生する発端まで、人間はわずか60年はどの間に、赤道を越え、アンデス山脈の雪をわけて、ヨーロッパのブドウを異風土の各地へ植え付けていきました。当然、新しい土地に適応できる品種と、脱落していく品種があったはずです。もしかすると、その淘汰は意外に速く進んだのかもしれません。 なぜなら、ミッションが移動したルート上に、「ミッション」と呼ばれる品種以外、痕跡はなにも残っていないからです。繁殖力が旺盛で、病気に強く、しかも豊産のこのブドウは、ワイン文化圏から新世界へ入植した最初期の人達にとって、まことに心強い品種であったに違いありません。このブドウは南アメリカの固有種のように勢力を張り、1980年の統計では品種別栽培面積14万5000haで世界第6位につけていました。 その後の急落については、既に述べましたが、それ以前、このブドウがいかにチリ、アルゼンチンの風土で土着化していたか、思い知らされる数字であります。 |