余話。その2
                                     
品種を巡るパラドックス
-カベルネとシャルドネは究極の品種なのか(4)−

 ワインが文明化するということを、ワインそれ自体の品質がどう変わるのかという点から申しますと、ヴァン・ドゥ・ターブルの場合は、均質で大量の製品を常時供給できるようにするため、ブレンドとファイニングの技術が品質を規格通りにコントロールしていきます。

 ここでいう「規格」が風土の産物であるワインを文明化するのです。「規格」は人為的なもので、文明の側にあるワインに普遍性を付与する力を持っています。 ワイン文化の後進国がワインを受容する最も一般的なプロセスは、甘口ワインから市場が醸成されていく、ということです。歴史的にみれば、その典型はイギリスです。彼等ほど熱心に甘口ワインを求めた国はありません。また、ワイン書という情報媒体がいち早く生まれたのもイギリスでした。

 そのワイン書の目次を見ますと、100年くらい昔に出版されたものには、必ずカナリー諸島のワインについて、独立の項目を立てて記述しています。今は、そんな本はまずありません。なぜカナリーかといえば、当時、イギリス人の気に入りの甘口ワインが、そこから大量に輸入されていたからなんです。

 シェリーもポートも、イギリス人が世界の名酒に仕立て上げたのですが、それは甘口ワインにいかに執着していたか、ということの証明でもあるのです。

 こうした甘口ワインは、時と所をかえて、ワイン文化の後進国に次々に現れます。オーストラリアではつい20年くらい前まで、ワインを代表するものは自国産の甘口シェリーとポートだったのです。アメリカでもカリフォルニアワインの名声が確立する以前、実にさまざまな甘口ワインが登場しました。ポップワイン、コールドタック、ワインクーラー、等々。そして日本では、「赤玉」「蜂」「大黒」といった銘柄が競いあう甘味ブドー酒の時代が1970年代まで尾を引いていたのです。

 過ぎ去った事例を並べてみると、これらは個別の流行ではなく、「甘口」という規格が、ワインをワイン文化の外へ拡散させていく一般的な現象であったということがわかってきます。ワインが、ワイン文化を持っていない人達や、都市に住みワイン文化の根ざした風土から離れた人達の鉄みものになっていくために変容していくのですが、これには共通点があるんです。どういうことかといいますと、「甘口」とか「ヴァン・ドゥ・ターブル」とか「スパークリング・ワイン」とか、スタイルで呼ばれるワインになっていくんです。
 


Copyright(C) 1997 ウォンズ パブリシング リミテッド All right reserved.