余話。その2
                                                  
品種を巡るパラドックス
-カベルネとシャルドネは究極の品種なのか(3)−
 
 
  食べること、飲むことについて、独自の文化をもついろいろな地方から人が集まって都市が生まれますと、ここでは食料も飲料も彼等自身が生産することはありませんから、都市成立以前にはありえなかったマス・マーケットが生まれます。問題は、この消費市場に内在する風土性です。

 食べることについては、料理の仕方が、素材に求められる風土性を不問にしてしまいました。これに対して、飲みもの、つまりワインは、風土性の強い産物で、しかもこれ以上手を加えずに飲用されるものです。飲み手の側には、それぞれ好みがありますが、大量に消費される日常のワインについては、全体をひとまとめにして、マス・マーケットに対応するマス・プロダクションのワインが求められます。現実には都市の水がめともいえる産地は限定されてしまうからです。パリの場合、鉄道が南フランスやボルドーまで延びる1850年代まで、パリジャンの飲む毎日のワインはセーヌ川の上流一帯から船に積んで運ばれてきたものが大部分を占めていました。

 ヴァン・ドゥ・ターブルの世界は、ここから開けていくのです。ヴァン・ドゥ・ターブルを、ただ単に「安くて、それなりの品質でしかないワイン」と思いこんではいけません私達は、フランスワインの分類を示すピラミッド、AOCワインを頂点に、VDQS、Vin dePays、Vin de Tableと積み重なった図を見てしまうと、底辺にあるワインを品質の粗末なものと、つい想像してしまいます。しかし、この図にはもう一つの読み方があるのです。

 産地に由来する風土性を強く持つものから次第に希薄となっていく構図、といったらいいでしょうか。個性の強いものは鋭く尖り、くせのない誰の好みにも逆らわない没個性のワインがヴォリュームを支えているのです。別の表現をするなら、マス・マーケットはワインの「風土ばなれ」を促し、もはや産地の個性を主張しない新しいワインのジャンル、ヴァン・ドゥ・ターブルを誕生させた、ということになります。

 ここに見られるように、「風土ばなれ」と普遍性の獲得は表裏一体のものです。そして、こういう現象が歴史の中に起こってくること、それを私は、ワインにおける文明化の一つの通すじと考えています。

 ここでいう「文明化」は、ワイン文化の内側で起こっているのですが、ワイン文化が異文化へ向かって浸透していく場合は、ヴァン・ドゥ・ターブルとはまったく異質の「文明としてのワイン」が登場します。

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