余話。その2
                                                  
品種を巡るパラドックス
-カベルネとシャルドネは究極の品種なのか(2)−
 
 
  ワインの文明化には二つの文脈があると考えられます。

 もともと、ワインは各地でブドウ栽培が行われ、収穫した果実をその地域の人達が飲料として日常生活に用いていた、そういうものです。自給自足の経済の中にあったのですね。古代ローマ時代には、そのワインがアンフォーラに詰められて海を渡って行きます。それは植民地、つまり同じ文化圏の中での移動です。文明化というのは、ある事柄が異文化の間を貫き通していくことです。

 植民地にはローマ帝国のいろいろな地方から人が集まっていたかも知れません。そうだとすると、それぞれの郷土の文化が混在しているわけですが、遠路はるばる送られてくるワインについては、きっと、みんなが我慢して飲んだんだろうと思います。植民地周辺の土着文化と対比すれば、ローマ文化として大同小異、ワインはそっくりそのまま受けいれられたでありましょう。

 地方の独自の文化の中で育った人達が集まってくるという点で、植民地と類似しているのは、パリのような大都市です。

 よくいわれる言葉ですが、「フランス料理とは何か。フランスの地方料理の集積である」という警句があります。これは個々の地方料理=文化が、それぞれのおいしさを主張しながら、アラカルトに並んでいる献立表のようなものを連想したらいいんだと思います。パリ人の食べるパリの料理というものが特別にあるわけではありません。

 ところが、ワインではどうもそうなっていない。地方で暮らす人は、その土地の料理を食べ、地ワインを飲んでいる。そういう生活をしていた人達が、あっちからも、こっちからも集まってきて、大都市が生まれたわけですから、当然、種々雑多な地方のワインもまた人間と一緒に流れこんでくるはずなんですね。実際はどうかといいますと、都市住民が日常消費する大量のワインは、輸送の便がよい大産地から、飲み手の好みなど無視して、どっと入ってくる。ここが食べものと飲みものの違うところです。食べものの方は料理法で地方の味が出せる。素材は必ずしもその地方のものを使わなくてもよい。味覚の文化が調理技術と一体となっているところがあるんですね。ところが、ワインは素材そのものなんです。ワインの文明化にはこつの文脈があると先程申しましたが、その一つはここを起点としています。

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