造り手を訪ねて

造り手を訪ねて
マコネ地区の

AOCヴィレ・クレセ

 2010年2月号でマコネ地区のAOCサン・ヴェランを紹介した。今回は同じくマコネ地区のAOCヴィレ・クレセを紹介する。
 AOCサン・ヴェランは1971年の創設で既に40年の歴史を持つが、AOCヴィレ・クレセは1999年に認可された新しいAOCだ。だから、細かいAOC法規の整備やテロワールの発掘はまだこれから。また、ワインの造りも試行錯誤が続いており質、スタイルとも様々だ。 AOCヴィレ・クレセの創設時からAOCヴィレ・クレセ栽培家組合の会長を務めるジャン・クロード・テリエ氏と、広報を担当するジャン・マリ・シャラン氏にAOCの変遷、特徴、現況などを伺った。

 AOCマコン・ヴィラージュからAOCヴィレ・クレセへの移行はうまく進みましたか。
 AOCマコン・ヴィラージュからAOCヴィレ・クレセに移って、収穫量が下がりましたが、栽培家の中にAOCを得たいという希望が大変強くあったので、比較的うまく立ち上げることができました。このAOCは栽培家の意志があって出来たものです。
 INAOにはかなり前からAOCを申請していたのですか。
 村名付きAOCの歴史は1936年に始まります。このとき、ヴィレの村にもAOCの提案があったのです。しかし、栽培家はそれを拒否しました。当時ワインはとてもよく売れていて、我々のワインはプイィ・フュイッセの一樽よりも高かったのです。AOCを受け入れればその分価格が上がり税金を払わなくてはならないという意見でした。この時、今AOCサン・ヴェランになっているダヴァイエなどもAOCに入ることを拒否しました。しかし、何年かたって、AOCを拒否したことが間違いだったことに気がついたのです。それで、独自の村名AOCの申請を行ったのです。しかしそのときは領域が小さすぎるという理由で拒否されました。たぶん100ha程度の限定された葡萄畑を申請したのです。その数年後に別の形でAOCの設立を申請しましたが、このときは1000haにも及ぶもので、今度は広すぎるということで通りませんでした。このようにして長引いたのです。戦後、1989年にヴィレの栽培家がAOCを申請し、次いで1991年にクレセでもAOCの申請書類を出しました。つまり、当初は別々に申請がなされたのです。これに対して、INAOは隣同士の村なので一つにまとめるということになり、1999年にAOCヴィレ・クレセが正式に認可されました。従って、最初の提案から数えると60年以上かかったことになります。
 ヴィレ・クレセには何人の栽培家がいるのですか。
 個人醸造家として独立しているのは27軒。それ以外に、幾つかのネゴシアンが葡萄を買って醸造しています。11年目の若いAOCですが質の割に価格が安いのでネゴシアンが関心を持ち始めているのです。
 伝統的にマコネは協同組合の生産ウエイトが高いですが、ヴィレ・クレセの場合も協同組合が大きな役割を果たしているのですか。
 ヴィレ村にある協同組合(カーヴ・コペラティヴ・ド・ヴィレ)が約40%のAOCヴィレ・クレセを生産しています。またリュニーの協同組合も少しヴィレ・クレセを生産しているので、2つの組合を合わせると少なくとも全体の50%を協同組合が生産していることになります。
 AOCヴィレ・クレセが創設されてからこの10年、どんな変化がありましたか。
 AOC創設当時個人醸造家の数は15軒足らずでしたが今は27軒に増えています。その分、協同組合のシェアは低下しています。協同組合を出て独立した人達ばかりでなく、若い人達が個人醸造家として新しく始めた例も少なくありません。こうした人達は必ずしもマコン地域の出身ではなく、ほかから新規参入した人達もいます。
 新規に独立するドメーヌが増えているのはAOCを得たことが主な要因ですか。
 それが大きく影響していると思います。ネゴシアン向けのバルクワインの相場が上がり、収入が増えました。マコン・ヴィラージュより少し高いので若い人が機材などの設備投資をして独立する際、財政的に少し楽になったのです。若い世代の中には協同組合に入りたくないという人達もいて、彼らは親の世代からドメーヌを引き継ぐ時に独立する道を選びます。若い世代は学校に行って醸造学などを学んでいるので昔ほど不安がなく、協同組合のような集団に加わらなくても自立してやっていけるのです。以前より知識を持ち、自分でワインを作り、自分の手腕で販売できるようになったことは良いことだと思います。
 もちろん、協同組合にも興味深いメリットがあります。生産経費や瓶詰め経費などを減らすことができるし、独自の視点を持って革新的な仕事をしている協同組合も増えています。以前のように、生産量を増やすことに重点を置くのではなく、多くの協同組合が収穫量を抑え、質の高いワインを目指すようになっています。ビオ栽培を行ない、各ドメーヌ毎にミクロキュヴェを作る協同組合も出てきています。
 全体として、ヴィレ・クレセでは瓶詰めの割合が増えているのですか。
 栽培家が行ってきた販売促進の努力が実ってヴィレ・クレセの評判が上がり、小さなドメーヌも自ら瓶詰めして販売するようになっています。ですから個人栽培家から大手ネゴシアンに販売される量はほんの僅かで大手ネゴシアンへの販売は主として協同組合が担っていています。これとは別に小さなネゴシアンが活動しています。たいていが他のAOCワインの生産家でヴィレ・クレセの栽培家から少量の葡萄や搾汁を買っている人達です。
 若いAOCなので国際市場では最近やっと知られ始めたところですね。
 ネゴシアンもこの新しいAOCを知ってもらうのに随分投資しました。初めの頃は容易ではなかったようです。そんな中で、ヴィレ・クレセの小さな栽培家がマコネのテロワールの多様性を知ってもらうように努力しました。品揃えを増やすためにクリマ毎に醸造して価値づけ、小さなロットのボトルの販売が始まりました。今、AOCヴィレ・クレセの8割は生産家元詰めで販売されていると思います。ネゴシアンにバルクで販売されているのは2割程度です。おそらく、マコンでこれだけ元詰めの比率が多い村名付きAOCは他にないと思います。マコン・ヴィラージュの時代に幾つかのドメーヌは既にマコン・ヴィレ、マコン・クレセとして瓶詰めし販売していました。こうしたことがAOCヴィレ・クレセの出来た時にドメーヌ元詰めを進める契機になったと思います。
 以前はネゴス向けの販売が多かったのですか。
 現在とは逆で8割以上がマコン・ヴィラージュ・ヴィレ、マコン・ヴィラージュ・クレセあるいはマコン・ジェネリックに格下げされてネゴスに売られていました。
 AOCヴィレ・クレセの面積はどのくらいあるのですか。
 AOC領域が約540ha、生産面積は約450haです。生産量はこの10年間で7000hlから2万5000hlに増えています。
 サン・ヴェランはプルミエクリュを造る計画を進めています。ヴィレ・クレセはどうですか。
 我々はまだ若いAOCなので基本的な事柄をもう少し定着させてからでないといけないと思っています。特に、将来プルミエクリュになるリューディの要求にはまだ時間がかかります。栽培家にある程度時間を与えてよく考えてもらう必要があります。彼らがそれを本当に望んでいるのかどうか、確認しないといけません。
 ヴィレ・クレセには幾つくらいのクリマがあるのですか。
 プルミエクリュとして要求するとしたら10~20でしょうが、この1~2年で急速に変わっています。あまり関心のなかった協同組合もプルミエクリュを要求し始めたし、個人栽培家は質のよいワイン、テロワールのワインの方向に変化すべきだと気づき始めています。
しかし、真の純粋さ、深みなどが表現されテロワールの特徴が識別出来るワインでなくてはなりません。その葡萄畑が特定できる個性が必要です。そのために葡萄の成熟の追求、台木の選択などの研究が少しずつ進んでいます。
 プルミエクリュを作るにはテロワールをよくみて、デギュスタシオンで過去のミレジームを遡る必要があります。中には1929年まで遡れるところもありますが、そのようなところは少数です。AOCヴィレ・クレセの場合、3~4のリューディを別にすれば、リューディ毎に醸造するようになったのは最近のことです。
 昔から評価のあるリューディもあるのですね。
 もちろんです。問題は、先ほども触れましたが、70年代に伝統的な作り方を放棄して、大量生産を目指したためすべてが平準化してしまいました。組合の会員は量を追求する方向に向いていましたし、独立した個人栽培家も80%をネゴスに売っていて、協同組合の考え方に影響されていました。私は協同組合の存在そのものを否定するつもりはありません。ある時期には協同組合が市場の要求に応えていたのです。しかし、協同組合の影響力がもっと少なかったらこの地域はもっと早く、テロワールを尊重して、質を追求する方向に変わっていただろうと思います。
 バルク単位の仲間取引価格はサン・ヴェランやプイィ・フュイッセとかなり異なるのですか。
 プイィ・フュイッセとは少し差がありますがサン・ヴェランにはほとんど追いつくところまできました。しかし大手ネゴシアンはヴィレ・クレセにあまり関心がなく、両者の価格は再び少し開く傾向にあります。
 マコン・ヴィラージュとヴィレ・クレセはかなり価格差がありますね。
 マコンのワインの多くはネゴスに買われてブルゴーニュ白に格下げされて売られています。マコン・ヴィラージュの平均取引価格は一樽当たり(216リットル)540ユーロくらい、一方ヴィレ・クレセは650ユーロくらいで約2割の差があります。
 ボージョレーワインをブルゴーニュの名で販売できるように規定を変更する動きがありますがどう思いますか。
 ボージョレーの生産家はガメイを引き抜き、シャルドネを植える傾向にあります。これは、今後ブルゴーニュワインの市場を妨害することは明らかで大変危険です。この10年来、ボージョレーは販売不振の問題を抱えており、ブルゴーニュを名乗りたいのでしょうが、ブルゴーニュワインはシャルドネとピノ・ノワールを使うのが基本です。ガメイで造ったワインをブルゴーニュの名で販売するのは反対です。
 ヴィレ・クレセにはしばしば残糖のあるボトルがあります。
 特にクレセでこのスタイルのワインを造っている生産家が何人かいます。収穫量が自然に低くなり、大変豊かなワインが出来ます。
 一種のヴァンダンジュ・タルディーヴ(遅摘み)ですか。
 収穫量の低い、成熟がかなり進んだ葡萄で造られますが、超熟ではありません。収穫期に数日で潜在糖度が12度から14度くらいに上がるのです。これはかなり特殊な現象です。かつてクレセでは協同組合も含めてほとんどこのようなワインでしたが、高い収穫量を求めるようになり、自ずと濃縮度が下がってきて、最近では残糖のほとんどないワインが主流になっています。しかし、収穫量を50hl程度に制限して、残糖が10g~50gある伝統的な残糖を持つワインにこだわっている栽培家も残っています。
 AOCヴィレ・クレセではこうした残糖のあるワインも認められているのですか。
 原則として、残糖のない辛口白ワインのみです。ですから、AOCヴィレ・クレセの規定からはずれたこうしたワインをどう扱うか、AOCの規定の見直しを行っているところです。
 我々は、昔造られたワインの質によってAOCを獲得できたという点を大事にしたいと考えています。かつては今のような標準化された製品ではありませんでした。過去に戻って、我々の祖先が造っていたようなワインを造ることが出来なくてはならないと思っています。残念ながら、INAOの規定は杓子定規です。伝統にそぐう規定に改める必要があります。
 まだ最終的な規定は出来ていないのですね。
 特殊な環境で出来る残糖のあるワインを我々は「ルブルテ」と呼び、収穫量を一般の64hlに対して50hlとし、収穫前にこの主のワインを生産することを申請すること、手で収穫し、自生酵母以外使ってはいけないなど厳しい規定をまとめました。INAOがこれを理解してくれることを望んでいます。
 幾つかの記事の中にヴィレ・クレセを甘口ワインと同一視する記述がみられますがこれは間違いです。例えば、テブネなどを甘口ワインの生産家として紹介していますが、実際に生産している甘口ワインの量はほんの僅かです。まだ「ルブルテ」の表示は認められておらず、辛口と甘口のワインが混じっているのが現状です。